2009年11月30日

限定なし + 希望の光 → ワクワク

魅せる「タイトル力を」つける!
限定なし + 希望の光 → ワクワク
〜クリックせずにはいられない魅惑のタイトル作成術〜



以下のコラムを読んで、そのタイトルを考えてみましょう。

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アジアの歌姫といえばテレサ・テン。浜崎あゆみ、BoA、アーメイ(張惠妹)といった名があがる。

このように、歌の世界で姫とよばれる女性は一握りである。

日本の有名人であっても、姫とよばれているのはごく一部である。

山犬に育てられ、自分は山犬だと思っている「もののけ姫」。

「こりん星」からいちごの馬車でやってきた「りんごももか姫」。

薩摩藩島津家から徳川家に嫁ぎ、13代将軍徳川家定の正室となった「天璋院篤姫」。

TBS「王様のブランチ」の女王様のお買い物コーナーの主役の「姫様(はしのえみ)」。

上記の顔ぶれを見てわかるとおり、いろんな意味で姫の称号を得た女性は特別だ。

言い方をかえれば、特別でなければ「姫」の称号を得られない。この法則をうまく利用した会社がある。

会員たちのことを「姫」と呼ぶその会社の事業は、若い女性に商品やサービスの感想を書いたブログを更新してもらい、ポイントを貯めて試験に合格した者には5段階のピラミッド構造のひとつ上位にランクアップさせるしくみを作った。

ピラミッドの頂点に君臨する姫たちは、決まった場所でなら発売前の化粧品や食品や音楽CDなどをで思いのままに使い放題となる。さらに各種企業が費用を負担する高級レストランでの食事会に参加することもできる。

他人よりちょっと早く発売前の曲が聴けたり、他人よりちょっと早く発売前の化粧品が試せるだけでなく、ときには自分たちの意見を取り入れた新製品が発売されることもある。

最上級ランクの姫たちは無報酬でこれらの活動に喜んで参加している。そんな最上級ランクの「姫」になりたい女性たちは後を絶たないという。

女性が求めるもの、それは「優位性」だ。

他人(庶民)が味わえない待遇(発売前の化粧品使い放題)と力(意見が反映されて商品になる)を与えてくれる「優位性」の究極の象徴が「姫」なのだ。

かつて発売前の商品を自身の体を使って試す実験役は庶民さえもやりたがらないキケンな匂いがする仕事であったのだが……。

ランクという「しくみ」をつくり、あとは「姫」と呼ぶだけでその会社の社長はウハウハであろう。

イザというときのために殿様にはたいてい複数の影武者がいたというが、最上級ランクの姫たちを取替えのきく影武者とするならば、そのマーケティング会社の社長は殿だ。女性社長であるというから、彼女こそマーケティング業界のリアルな意味での「姫」ではないだろうか。

もちろん、だれだでも影武者(替え姫)になれるわけではないのだから、仮初の姫を満喫するのもアリかもしれない。

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さて、このコラムにどのようなタイトルをつければ、より多くの人々に関心を持ってもらえるでしょうか。

まずはコラムを読んでストレートに作ったタイトル例を示します。


<タイトル例1>

「マーケティング業界の姫様」


<解説>

「○○業界」に関係ない・興味ない人を切り捨てるタイトルですね。

これは「しなくてもいい限定」をしてしまっている典型的なタイトル例です。

その業界に関係ない・興味ない人だけでなく「○○業界」とすることで、もっと多くの人たちをも切り捨ててしまうおそれがあります。

なぜなら「○○業界」ときくと、たいていの人はビジネスの話だろうと推測するからです。

すると、ビジネス関連に興味がある人に限定したタイトルになってしまうのです。

せっかく「姫」という強力なことばを使うのに「マーケティング業界」によって急にカタい印象を与えるタイトルになってしまっています。

では、このあたりでコラムのタイトル例をもうひとつ示します。


<タイトル例2>

「『なんちゃって姫』で『ホンモノの姫』になる!」


<解説>

タイトル例1の「マーケティング業界の姫様」で浮かぶ疑問はひとつだけです。マーケティング業界の姫様とはどんな人だろう? というひとつだけ。

ところがタイトル例2の「『なんちゃって姫』で『ホンモノの姫』になる!」で浮かぶ疑問はひとつだけではありません。

そもそも女性は「姫」扱いされることを望み、男性は「姫」とお近づきになりたいと願うもの。

だから「姫」は女性にも男性にも注目されやすいワードです。

そしてタイトル例2は「姫」になる方法を意識させるものとなっています。

タイトルによると「姫に」なるためには「なんちゃって姫」を使うんだと言っている。

「なんちゃって姫」とはおそらくニセモノの姫ではないか。ではニセモノの姫を使ってどうやって「ホンモノの姫」になれるのか?

そもそも「姫」にニセモノがあるのか?

そんなふうにどんどん疑問が湧き出てきませんか。

それからタイトル例2は「姫」に興味がある人すべてを惹きつけるものとなっています。

「○○業界」というワードを使わないことでお堅いビジネスの印象を与えないようにしています。

読者を限定せずにだれもが興味を持ちやすい強力ワード(「姫」)にあなたもなれるかもしれない! お近づきになれるかもしれない! と希望を持たせるのです。


● 限定なし + 希望の光 → ワクワク


憧れの存在になれるかもしれない、憧れの存在に近づけるかもしれないという希望を抱かせる。つまり「姫」への憧れを膨らませるタイトルを作るのです。

まちがっても「姫」という強力なワードの威力をそぐようなことをしてはいけません。

強力なワードは最大限に活かす。これが大事です。



2009年11月29日

頼りない上司はこんな人


<例文>

上官「時間があまりないがザクの整備にかかれ。できたらグフのメインカメラの調整もだ」


<解説>

これは、モビルスーツ(ロボット)の整備士に話した内容ですね。
(ザクやグフはモビルスーツの種類をあらわす名称です)

整備士はザクの整備とグフのメインカメラの調整のどちらを優先するでしょうか。

ある整備士はザクの整備を優先し、時間がゆるせばグフのメインカメラの調整もするでしょう。

またある整備士はザクの整備をした後にグフのメインカメラの調整をするでしょう。

では上官が意図した命令はどんなものでしょうか。

ここで注意すべきは「時間があまりないが」です。

「時間があまりない」からどうしろといっているのでしょうか。

もちろん、時間があまりないから急げ、といっていますね。

ところが「時間があまりないが」を命令文の冒頭にもってきたために、内容が正確に伝わらないおそれが生じてしまっています。

「時間があまりないが」は「急げ」を意味することを踏まえて例文を読み返してみれば、上官の命令の内容は以下のように推測できます。



<例文2>

上官「ザクの整備が終わったらグフのメインカメラの調整もしておけ。急げよ」


つまり上官はザクの整備とグフのメインカメラの調整のふたつを急いでやれ、と命令しているのです。

ところが冒頭に「時間があまりないが」をもってきたために以下のように推測もできてしまいます。



<例文3>

上官「時間があまりないがザクの整備にかかれ。もし可能ならグフのメインカメラの調整もだ」


つまり、ザクの整備を命じて、もしも時間がゆるせば、可能ならばグフのメインカメラの調整もしろ、と受け止められるおそれがあるのです。

この場合、整備士はグフのメインカメラを調整に手をつけないかもしれません。たとえそうなっても命令に違反したことにはならいと考えるでしょう。


命令文は明確でなければなりません。命令の内容をあいまいにしている原因は冒頭の「時間があまりないが」「できたら」のふたつです。

「時間があまりない」は理由であって命令ではありません。命令には「急げ」でOKです。

「できたら」は「〜が終わったら、完了したら」の意味と、「もしも可能なら」のふたつの意味があります。

ひとつは物事の順序を示し、もうひとつは条件を表します。こうした複数の意味を持つことばは、使い方に注意が必要です。

上官や上司といった役職に向かない人の典型は、このように命令ができないことにあります。

余計な飾りがなくてもよい命令文でもあいまいになってしまうのは、わかりやすくする意識と訓練がまだまだ足りないからでしょう。

軍人でもないから命令文なんて関係ないと思うかもしれませんが、だれかに何かを指示することがあれば、少なからず命令しているのです。

命令するには技術が要ります。

命令文をしっかり書けるかどうか、にもっと気を配りましょう。

2009年11月15日

ハリセンで叩け!

【魅せる「タイトル力を」つける!】


〜クリックせずにはいられない魅惑のタイトル作成術〜


以下のコラムを読んで、そのタイトルを考えてみましょう。

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愛されたいなら愛しなさい。これが一般的に言われていることである。

だが、愛されている者はたいてい嫌われ者でもある。

嫌われ者が、なぜ愛されるのか。

そのしくみを説明しよう。

愛するためには、相手を意識しなくてはならない。意識してはじめて好きや嫌いの感情が生まれる。

「愛憎」というのは「愛」と「憎」という相反する言葉から成る。

生と死が表裏一体であるのと同じように、愛と憎しみも表裏一体なのだ。ということは、愛されることと憎まれることは背中合わせの関係だということである。

背中合わせ(憎しみ合う)なら、お互いに向きを180度変えれば、ふたりは向かい合う(愛し合う)のである。

ディズニーのアニメーション映画「リロ・アンド・スティッチ」のスティッチは、悪の天才科学者の伝子実験によって創り出されたエイリアンの試作品626号だ。触れるものすべてを破壊する宇宙のお尋ね者である。

スティッチは宇宙のみんなに嫌われている。けれども地球のハワイ・カウアイ島に住む5才の女の子リロに出会い、暴れ放題にもかかわらず自分を家族として受け入れてくれる愛によって、宇宙のお尋ね者のエイリアン626号から、みんなに愛されるスティッチへと変化したのである(180度向きが変わった)。

ウィル・スミス主演の映画「ハンコック」は市民から憎まれているヒーローが主人公の物語。ありあまるパワーで悪を退治するのと同時に、ビルや道路や車を列車を破壊しまくるため、みんなから大ブーイングを浴びるが、本人に反省の色は無し。長い時間を孤独に生きてきたハンコックはさびしさのために人から嫌われうことに慣れてしまっていたのだ。

あるとき偶然助けた広告マンから、皆に愛されるヒーローにならないか、ともちかけられる。街を壊さず挨拶を欠かさずに紳士的な振る舞いで凶悪事件を解決したハンコックは、一躍みんなの人気者になる(180度向きが変わった)。

このように、みんなから愛されるには、一度大きく反対側(嫌われ者)に振り子を振っておくと効果的なのだ。

俳優の宇梶剛士は、元暴走族の総長。日本最大の暴走族ブラックエンペラーの7代目総長だった。

お笑い芸人コンビ「バッドボーイズ」の佐田正樹は元暴走族の総長。福岡連合の総長だった。

大相撲力士の千代大海龍二は、少年のころは大分県の暴走族を率いていた。

小さいころから真面目一筋で地味に勉学やスポーツに励んできた者はそこそこ愛されるにすぎないが、昔やんちゃしてたけど心を入れかえて真面目にがんばってますという者はめっちゃ愛されるの傾向がある。

だから、愛されたいなら一度みんなに嫌われてみよう。

みんなに愛されたいと多くを望めば、一度みんなに嫌われるぐらいの代償を払わなくてはならない。

たいていの人は、みんなに愛されなくても自分が愛するたったひとりの人に愛されたいと願うもの。

たったひとりに愛されるなら、そんなに難しいことではないと思えてきたなら大いに結構。実際は、そのひとりに愛さることがめっちゃむずかしいのだが……。

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さて、このコラムにどのようなタイトルをつければ、より多くの人々に関心を持ってもらえるでしょうか。

まずはコラムを読んでストレートに作ったタイトル例を示します。


<タイトル例1>

「みんなに愛される方法」


<解説>

漠然としたタイトルですね。しかも、ウソくさい。

地球上のすべての人々に愛されることなんて、ふつうはあり得ないことだと皆わかっています。

それにもかかわらず「みんなに愛される方法」があるなんてよくぞいえたものだと思うことでしょう。

地球上のすべての人々に愛されることは不可能だと皆わかっているし、そもそも地球上のすべての人々に愛されたいともおもっていないというのが正直なところではないでしょうか。

だから「みんなに愛される方法」は必要ないと皆はおもっている。

もしほんとうに「みんなに愛されたい」と願っているとしたら、それは「だれにも嫌われたくない」と願っていることを意味します。

だれにも嫌われたくない人は、だれであっても相手を特別扱いしません。

そもそもだれかを好きになったり愛するようになったりすれば、その人を特別扱いします。

だれかを特別扱いすることによって、だれかを特別扱いしない状況が生じます。それによってだれかに「贔屓」を指摘され、非難されることもあるでしょう。

つまり、だれかを特別扱いしなければ、だれにも嫌われないかわりに、だれにも愛されることはないのです。

付け加えていえば「だれにも嫌われない」ことは「だれにも気にもとめられない」ことでもあります。

「だれにも嫌われない」状態というのは、感情が生じる以前の状態を意味するからです。

なんだかややこしい話にきこえるかもしれませんが、要は「だれにも嫌われたくない」から「みんなに愛される方法」を知りたい人はほとんどいないということです。

的(マト)がないところにいくら矢を放っても意味がないのと同じで「みんなに愛される方法」というタイトルにはたいして意味がありません。

むしろ、ウソくさくて嫌煙されるでしょう。

では、このあたりでコラムのタイトル例をもうひとつ示します。


<タイトル例2>

「愛されたいなら嫌われろ!」


<解説>

意中のあの人に愛されたいと願う人に、どうしたらいいかをズバリ提示ていますね。

しかもその方法は意外なものです。

愛されたいのに嫌われろ、っていったいどういうこと? とおもわずにはいられない。

大阪駅にいて東京駅に行きたいのに、博多行きの電車に乗れといってるのと同じようなことです。

博多行きの電車に乗れば東京駅に行けるというのですから、いったいどういうことか話をきかずにはいられない。

ふつうじゃないんです。ふつうじゃないからこそ、そこに未知の道(ダジャレです〈笑〉)があるんじゃないかと好奇心を刺激するのです。

こういったタイトルは瞬発力が勝負の決め手です。

短いことばで読者の固定観念をバシッ! とハリセンで叩くぐらいの気持ちが必要です。

こんなタイトルを付けたらちょっと大胆すぎやしないだろうか? 

こんなタイトルを付けたらあたりさわりがあるんじゃないだろうか? 

そんなふうに思う人は「だれにも嫌われたくない」と思っているのかもしれません。

もちろん、無理に人に嫌われる必要はありませんが、先にも書いたとおり、誰にも嫌われないということは、だれにも気にもとめられないことを意味します。

だれにもに気にもとめられなければ、そのタイトルが付いた文章を読んでもらえるわけがありません。

いうまでもありませんが、やりすぎはいけません。内容とかけ離れた大げさなタイトルは読者をがっかりさせるからです。

内容をふまえたうえで、読者の固定観念をバシッ! とハリセンで叩くぐらいの、あえて嫌われようとするぐらいの気持ちの強さを持ってタイトルをつくるのです。